ボランティア証言その3

【Cさんの証言】

 

【リコール活動のきっかけ】

 

2019愛知トリエンナーレ」で天皇陛下を侮辱する、英霊を侮辱する..等々の情報を耳にし、調べれば、次々と芸術作品とは言いがたい物が、ぞくぞくとあるではないか!それも公費を使い開催、その後、展示中止となったにもかかわらず大村知事が再開させて、「日本人としてあるまじき行為」と憤りを持っていたところに、リコールの会が立ち上げられることを知り、事務局に皆さんと出掛たことから始まりました。

 

そして事務局から請求代表者を頼まれ参加することになりました。

 

 

【主な活動内容】

 

事務局の思惑から西尾には請求代表者が4人、そのうちの3人は私(一般の主婦でしかない私!)が推薦した方々。意図的に主婦の私を請求代表者にしたとしか思えない決め方でした。

 

請求代表者用に割り当てられた幟を掲げ、ほぼ2人で、早朝の駅や人の集まりそうなマーケットの前の道で、受任者用の葉書配りを行いました。

 

「チラシ」も少しずつ手に入るようになり、自宅周辺のポスティングを、暑さを避けて朝、夕100軒、という目標を掲げて行いました。

 

他の地域ではお一人で1000枚単位で配っておられるという話をお聞きして、その熱き思い、そして英霊の方々のはたらきに比べれば、申し訳ない気持ちで黙々と続けました。

 

ただ、西尾市、碧南市、安城市、は大村知事のお膝元と云う事もあり、反応はかなり悪いのと、冷たい視線も浴びる事も少なからずあり、リコールの大変さを実感する毎日でした。

 

大型スーパーの前とか、いろいろなところで街頭署名活動をしました。

 

そのうち署名会場が設置されるようになりましたが、請求代表者の人数が少なすぎて、「何よ、初めは140名の請求代表者を集めると言っていたのに!」と事務局に不信感を感じたのもこの頃です。

 

それでも請求代表者を必要とする会場に入り、署名を頂く毎日、請求代表者で活動出来る人数が圧倒的に少な過ぎて、あちこちに出向いて署名を頂いていました。名古屋からわざわざ、安城市まで足を運んで署名してくだる方もいました。

 

ところが、その当時から事務局の情報が錯綜(でたらめ?)で、署名会場はどこそことホームページに表示されているにもかかわらず、その場所に行ってみたら会場が無かったりしたことがありました。

 

今思えば嫌がらせ、としか思えない事もありましたが、それでも一生懸命会場を探して署名に来られる方々がおられ、その熱い思いに「リコール活動の正統性」を実感し痛感しました。

 

【活動中の苦労】

 

署名に来られた方の苦情の多くが、事務局の対応の悪さについてでした。電話が繋がらないことや、署名用紙が届いても記載が間違っているので、そのことを伝えても又、間違えて来たということがあったようで、「ほら、こんなふうですよ」と間違いの署名用紙3通を持って来られた方もいました。申し訳なく、情けなくて。

 

事務局からの情報もほとんど無くて、どう動いてよいのか判断に迷う事もあり、苦情の対応に頭を悩ませることが度々ありました。

 

【活動中の事務局への思い】

 

リコール活動が始まり事務局に初めて行った時から、何か変だと思っていましたが、1つは80万人の署名を集めようとしているのに電話回線が1回線しかなく、そして岡崎の杉田さんの用意された広報宣伝カーを使うなと言われ、その時の対応の仕方も、矛盾を感じました。

 

2回目に古出来町の事務所に行った時、署名用紙が届かないと訴えても、それには答えず、話しをすり替えてしまう有様。不信感が最後までありました。

 

 

受任者用署名用紙のパソコン入力の間違いの多さもひどかった。まあ、こういうことをいちいち挙げていると切りが無いですが、時とともに事務局のやる気なさに確信を深めました。