不正署名の真相


次の三点について考察します。

・署名偽造は最初からの計画だった?

・田中=渡邉コンビの二正面作戦?

・完全な隠密作戦、全ての者を裏切った特異性

 

1.署名偽造は最初からの計画だった?

田中孝博・元事務局長は、佐賀での署名偽造は署名の集まりがはかばかしくなくてこれでは高須会長に恥をかかせるとの焦りから追い込まれてのことだったというような趣旨のことを言っているそうです。

 

私たちは、これはよく言って取り繕い、ズバリ言えば嘘だと考えています。彼らは初めから偽物作戦で行く腹積もりであったと考えています。その根拠はいくつかあります。

 

①請求代表者の見せかけ。

請求代表者は37人いることになっています。しかし、私たちが確かめたところでは、そのほぼ半数はただの名義貸し。団体の体裁を取り繕っただけの空虚さに満ちています。

そして、各地の真にやる気のある、活動実績もある人たちが意識的に排除されています。

実は令和2年7月13日、名古屋市古出来町の事務所で「第2回地区長会議」なるものが持たれました。そこで議事次第が配布され、田中孝博事務局長がいろいろと説明しましたが、その分かりにくさはともかくとして、そこでは140名の請求代表者を集めてやりたいということが明記され語られもしました。

それがいつの間にか37名になり、その半分は名義貸し。やる気のなさは歴然としています。田中らの口から出まかせ、法螺吹きぶりもよく表れていますが、要するに活力のある情熱も意志も厚い大きな「司令部」を作ることなど初めから考えてはいなかったということです。むしろまじめでやる気のある請求代表者などは邪魔だったのでしょう。

ちまちまとした、言うことを聞いてくれるか、つべこべ言わないか、監視の目など光らせないようなお仲間がちょこっといればそれでいい、ということだったのでしょう。

 

②受任者をめぐる問題

受任者の募集は二通りの方法で行われました。葉書きでの申し込みとインターネットでの申し込みと。葉書きでの申し込みは2583枚でした。インターネットでの申し込みは愛知県内居住者が29523名でしたが、住所の不備等で無効な部分があり、有効数は25,569名でした。(ちなみに、全国から60,154名の申し込みがありましたが、県外居住者は受任者にはなれません。)

 

結局、合計で28,152名でした。これを多いと見るか少ないと見るかはそれぞれの見方があるでしょうが、問題はこれらの受任者に対してすみやかに署名用紙が送られなかったということです。送る作業を本気でやるとすれば大量の作業者を動員して集中的にやらなければなりませんが、それは相当大変な作業です。署名用紙を印刷して、折って封筒詰めして、投函する。膨大な人員と時間と労力を要します。

しかし、そういう作業はあまり(ほとんど?)なされませんでした。

 

署名用紙が届かないことに業を煮やした受任者はわざわざ事務所まで署名用紙を取りに来ました。

それがまじめで熱心な受任者たちの不満であり、事務局に対する批判にもなったのですが、事務局はうるさがり、逆に攻撃(口撃かな?)し始めました。

その時はなぜそういうことになるのか訳が分かりませんでしたが、今考えればそれもまた合理的な反応でした。署名などいくらでもねつ造できるのですから。面倒な作業など要らない、まじめに要求してくる連中などうるさいだけ、そういうことだったのでしょう。

 

受任者の問題ではもう一つのことを指摘しないわけにはいきません。つまり水増し発表です。

例えば11月3日の高須会長の発言では受任者は8万人いることになっています。一人が10筆ずつ集めれば80万筆は確実というストーリーが語られています。

しかし、実態は3万名弱であり、それもパソコンにデータとしてあるだけ、実際の連絡はつけられていません。80万筆などとんでもない空想です。

 

何故こんなおとぎ話がまことしやかに流布されたのか?

これはあくまでも推理になりますが、田中らは60万筆、70万筆、80万筆を狙っていたのではないか。リコールが成立するためには86万筆余りが必要ですが、それを超えると選管の審査にかかって偽物作戦がばれる、そこまで行かない線で抑えて無審査で返却され溶解すれば証拠は残らない、惜しかったね、でもよくやったね、素晴らしいよという称賛だけが残る、そういう筋書きが描かれていたのではないか、その筋書きに合わせるために受任者8万名という水増し数があらかじめ流布されていなければならなかったのではないか。

これはあくまでも私たちの推理ですが、私たちはこの推理に傾いていることを率直に述べます。

 

③電話が1本

事務所には電話が1本しか引かれていませんでした。これではどうにもなりません。ボランティアたちは電話回線をもっと増やしてくれと再三にわたって提言し、要求し、中には必要なお金は出すから引いてくれと言った者もいました。業を煮やして怒鳴り込んだ人もいました。

しかし、回線は増やされず、提言した人たちはうるさい連中だとして排除されました。

 

Faxのことなど細かいことを挙げればいろいろありますが、要するに全ての状況が示しているところはただ一つ、「まじめに正当な方法で一生懸命に署名を集めることには興味がなかった事務局」ということです。しかし、称賛は欲しい事務局。この二つをつなぐ糸は「最初からの偽物作戦」です。

 

2.田中=渡邉コンビの二正面作戦?

田中=渡邉コンビの経歴を見れば彼らが本気で大村知事に反旗を翻すことの説得性はありません。彼らが大村知事を憎んでいるとか毛嫌いしているとは思われません。むしろ恩義を感じているはずだと思われます。

ではトリエンナーレの皇室冒涜・反日・侮日に怒りを覚えていたかというとそれも説得性はありません。彼らはトリエンナーレの何たるかはあまり(ほとんど?)知らなかったし、興味もなかったように思われます。

では何故リコール運動にかかわったのか?

そこに宝の埋まっていることを感じていたからでしょう。そういう勘は鋭いのでしょう。

宝は欲しい、しかし、大村知事に睨まれることは嫌だ、両方にうまく取り入って政界を泳いでいく、こういう目論見だったのでしょう。

実際、この目論見が大成功する可能性は大いにありました。

しかし、それは恐ろしいことです。膨大な偽物で飾られたリコール運動、その虚飾を基にして田中らの華々しい政界遊泳、巨大なインチキ、国民騙しの上に築かれた政治構造・・恐ろしいことです。

 

3.隠密作戦、全ての者を裏切った特異性

こういう前代未聞の恐るべきたくらみは何を意味するのでしょうか?

私たちは事務局人事の誤り、そこに尽きると考えます。

集まってきたボランティアたちの問題とかは何の関係もない、そういう意味で極めて特異な事件であると考えます。

マスメディアは何かリコール運動自体に闇があったかのように描きたがっているように見えますが、闇という言葉で言うなら、闇は田中=渡邉コンビの心の中にあった闇=病みでしょう。

誰もそのことに気づかなかった。それが痛恨の極みです。

 

事件の本質

結局、署名偽造事件は田中=渡邉コンビの愚かさと無能さの結合がもたらしたものであると言えるでしょう。

愚かさと無能さは違うものです。愚かさは心のベクトルの向きのことです。マイナス・悪に向いているのが愚かさです。プラス・正善に向いているのが賢明さです。無能さというのは能力の問題です。能力の低さが愚かさと結びついた時、馬鹿さとして現れます。

 

田中=渡邉コンビは偽物作戦を考えました。それが愚かさです。正邪、善悪の見極めがつかず、目先の利欲に目がくらんでそういうことを考えたのでしょう。

 

彼らの愚かさについてはもう一つ重大な問題があります。すなわち、ボランティアたちを分裂させ、対立させ、敵対心まであおったということです。自分たちの能力不足を取り繕うために、不正を隠すために、デマをふりまき、悪口を耳に注ぎ込み、素直に信じたものを自分たちの陣営に引き込み、防波堤か親衛隊のように操ったと見えます。その後遺症は今でも尾を引き、志を同じくしていたはずのボランティアたちが不信と対立の中にあります。壊された感情はそう簡単には修復できません。田中=渡邉コンビの罪は重いです。

 

彼らには本当に馬鹿だなあと思わされます。偽物作戦は選管に審査されずに署名簿が返還されることを当て込んでいます。そうであるなら、例えばわざわざ何かの愛知県民有権者名簿を購入して住所氏名などを書き込む必要はないわけです。例えば電話帳を書き写すだけでも済む。もっと言えば、輪転機を回してでたらめな住所氏名が書かれた署名簿を大量生産すればいい。佐賀作戦など不要です。まあ、細かいことを言えばいろいろありますが、やりようはいろいろあるでしょう。彼らはある意味では馬鹿正直でした。審査されないのに正しい(?)住民データを書き込まなければならないと思い込んでいたわけです。

 

彼らはシミュレーションが出来なかった。能力の欠如です。例えばナンバリングのことが頭になかった。だから提出の際大混乱が起こったし、ナンバリングの作業をボランティアたちがやることによって、署名簿のおかしさがもろに見えてしまった。その沸き起こってきた疑惑を必死で取り繕おうとしてデマをふりまき、結局、突然の中止宣言となった。そういうことでしょう。

 

誰もこのコンビがこんなに愚かで無能、結果、馬鹿だとは思ってもいなかったのかも知れません。そこが不思議な感じがしますが、取り繕うのがうまかった、そういう才能だけはあったということかも知れません。