英霊への冒涜を許さない


馬鹿な(間抜けな、幼稚な、白痴の)日本人の墓は何を表現しているか?

展示物の実際

問題の展示物はこういうものです。

 

 

作者・中垣克久氏による命名は「時代の肖像ー絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳ー」といいます。英和辞書ではidiotとは馬鹿、幼児的、白痴などと訳されていますが、間抜けと訳しても間違いではない。要するに日本人を侮辱する言葉、名づけです。

 

 

制作者の言い分

 

ご本人の言い分はこうです。

 

 

インタビューアーによれば、「中垣克久さんのこの作品の考えは日本が敗戦から今日に至るまで、未だに米国から自立できていないという思いから、「日本人は死んだら米国人になる」というものだそうです。」というらしい。「墓」の下部に敷いてある星条旗は死んだ日本人の行く末を表すもののようです。

 

総体的に言って、この作品は日本人の心性を彼なりの観点から見て批判・揶揄・嘲笑しているものと言えるだろうし、作者としてはそれを悲しんでいる・嘆いているということかも知れません。

 

 

特異な表現に称えられるべき独創性はあるのか?

 

「墓」の周囲に貼られた紙片の中には憲法9条の「改悪」に対する反対、特定秘密保護法への反対などが書かれたものがあります。そういう政治思想を特異な形で表現した代物です。

 

作者・中垣氏は表現手法のその特異さに自分の独創性を誇っているのかもしれませんが、そしてそれは勝手ですが、そういうものを公金をもって展示させよというのは厚かましすぎるのではないでしょうか。人々の共感をどれだけ得ることが出来るかは畢竟作品の力です。作品に力がなければ人は見たがらないし、展示する場所も見つかりません。中垣氏の作品に力はあったのでしょうか?

 

公金はつまるところ県民の税金だから、多くの県民が共感できるものでないといけません。表現の自由は勿論ありますが、それと厚かましさとは別でしょう。あなた、もう少し厚かましさをわきまえたらどうですかと言いたいところです。いや、失礼、これは中垣氏に言うことではなく、主催者に言うべきことかもしれません。

 

 

英霊への冒涜

さらにこの作品には深刻な問題があります。

 

どんな作品でもそこには作者の思いが込められており、それが人々の共感を呼ぶこともあろうし、反発を招くこともあるでしょう。「墓」に関しても共感する人もいるでしょう。しかし、恐らく反発する人も多いのではないでしょうか。

 

反発の中身が問題です。好きか嫌いかではありません。美しいか汚いかでもありません。私たちが反発するのはそれが死者の名誉にかかわるものであり、英霊の名誉にかかわるものだからです。一般に作者の政治思想を、そうであるがゆえに許せないと言っているのではありません。

 

死者にも名誉があります。特に英霊は自分の利欲のために亡くなったのではありません。祖国の為に命を捧げられた方々です。とりわけ重く扱われなければならないのです。

 

 

 

 

またこうも言えます。私たちは、日本人、日本の国民は全て英霊の遺族だ、と。それは親族に戦死者がいるかいないかということではありません。英霊は祖国の為に命を捧げられた方々であるからです。日本国民は皆英霊の遺族なのです。英霊に対する冒とくは自分の近しい親族に対する冒とくと同じだと思えるのです。

 

「墓」の頂部にかけられた寄せ書き入りの日章旗は作者・中垣氏の養父様の所蔵していたもので特攻隊とは関係ない、養父様は旧日本軍の海軍兵学校在籍中に終戦を迎え、その際友人たちから寄せ書きをしてもらったそれであるとの話を聞きますが、そうだとすれば、大東亜戦争の遺品であることは事実でしょう。その遺品に対する養父様の考えは分かりませんが、私たちとしてはそのような遺品をあのような「墓」の上にかけるということ自体が冒涜だと見られても仕方ないと考えます。例えば愛する母親の着物をあのように扱う者はいないでしょう。その日章旗に寄せられた寄せ書きは戦士・兵士たちのものであり、それは丁重に最大の敬意をもって扱われてしかるべきものです。

 

寄せ書きをしたのは英霊ではなく、その時は生きていた若者だった、だから英霊を冒涜したのではないというのかもしれませんが、戦時における日章旗への寄せ書きは戦士・兵士の武運長久を祈るものであり、おびただしい数があります。どこか戦史記念館に行けば丁重に展示されています。外国でもそうです。日本は敵国だったから侮辱的に扱っていいとはされていません。それはそこに思い=愛が込められているからです。その深い思い=愛に対する敬意があるからです。寄せ書きの日章旗はそれら全ての思いにつながるものであり、件の日章旗といえどもそれと別物ではありません。そこが分っていないところに、失礼ながら、中垣氏の考えの浅さがあると言わざるを得ません。

 

やはり、彼らの強弁に関わらず、件の日章旗の扱いは英霊を冒涜するものであったという他ありません。中垣氏はあの戦争を呪うのかもしれませんが、そしてそれは思想の自由ですが、その思いをあのように表現すれば強い反発を受けることも仕方のないことです。英霊への冒涜だと言われても当然でしょう。

 

特攻隊員への冒涜

ところで、特攻隊も英霊だから英霊に対する冒とくは特攻隊に対する冒とくでもありますが、あの「墓」は英霊一般を冒涜したもので、特攻隊はその中に入ってはいないというのでしょうか?中垣氏は特攻隊には同情的であるという話も聞きますが、その真実さは私たちには分かりません。仮にそうだとしてもあの作品にはそういう気持ちは表れていないことは確かです。

  

 

「墓」の周囲にべたべた貼られた紙片には特攻隊の遺書も含まれている(いた?)と聞きます。私たちはその作品をまじかに見てその真偽を確かめたいものです。

 

それはともかくとして、「墓」は紛れもなく特攻隊をも冒涜したものです。英霊への冒涜はストレートに特攻隊員への冒涜です。違うわけがない。もし中垣氏に本当に特攻隊員への同情(共感?敬意?)があるとすればそれはストレートに英霊全体に対するそれとなるべきものでしょう。皆祖国に殉じた尊い方々であるのだから。

 

だから、私たちはあのような作品に強い反発を感じるのであり、あのような作品を公金をもって展示することは断じて許せないのです。表現の自由などと言う聞いた風な言葉であまりにも厚かましい要求をするのは許せないのです。

 

中垣氏がどのような思想をもとうと勝手だし致し方のないものですが、その表現場所は私的な空間でおやりなさいということです。自由に表現したいのなら自分のお金でやりなさいと言うのです。いや、失礼、これは主催者に言うべきことでした。