捏造慰安婦の流布を許さない


「平和の少女像」

戦地での慰安婦

私たちは大東亜戦争の各地の戦地においていわゆる慰安婦がいたことを知っています。大半は日本人でしたが、朝鮮半島出身者もいたことを知っています。

 

軍隊・戦地に慰安婦はつきものです。大昔からどこの国でもそれはあったし、多分今もあるでしょう。それについては論じません。話題にしたいことではありません。そういうことを話題にすることは軍人の名誉を汚すことになるからです。

 

「強制連行」は嘘・・朝日新聞の誤報

旧日本軍にかかわる慰安婦のことで問題となるのは彼女らが官憲による無理やりの、暴力的な人さらいによってそういう境遇に叩き込まれたのか(強制連行)ということです。そこだけが肝要な点です。

 

これ(強制連行説)を言い出したのは吉田清治という男で、彼は詐話師で、ありもしなかったことをまことしやかに話し、人々の注意を引くことに非常な快感を覚えていた男のようです。彼は大東亜戦争中、官憲の任務として朝鮮人の若い女性を暴力的にさらい、戦地に連れて行って売春させたと言いふらしました。全くの作り話、法螺、妄想でした。

 

 

 

 

しかし、それを真に受けた朝日新聞などが強制連行説の大キャンペーンを、何十年もの長い間はりました。それで日本人もびっくりしたし、特に韓国の人たちはすっかり信じ込んで、日本を非難し始めました。朝日新聞などが書き立てるまでは韓国の人たちもそういう話は知らなかったのです。

 

数年前、朝日新聞は自分のキャンペーンが間違っていたことを認めました。今では朝鮮人(だけではありませんが)慰安婦の強制連行説を信じている日本人はほとんどいません。

 

「平和の少女像」の事の起こりは?

ところで、「平和の少女像」とは何でしょうか?もちろん、強制連行で人生を破壊された朝鮮人女性を象徴するつもりのものです。「強制連行した日本」を弾劾する意味が込められています。

 

しかし、実はこの像には違った経緯があるという説があります。もともとは在韓米軍の軍用車両に轢かれて死んだ二人の少女を表すものとして作成されたという説があります(轢死少女説)。米軍ー米国を告発・糾弾するものとして作成された、だから椅子が二つある。轢き殺された二人の少女がそこに座っていた、という説です。いつの間にか、その像は当初の作成の意味を剥奪されて、「日本の官憲に強制連行された朝鮮人慰安婦」(もちろん、それ自体嘘ですが)を表すものにされ、二人のうちの一人の少女は取り外されたというのです。

 

しかし、この説は全く誤りだという批判もあります。

 

慰安婦像のモデルは、米軍装甲車女子中学生轢死事件で亡くなった女子中学生なのか? – 山本光一のブログ (yamamotokouichi.net)

 

 

私たちとしてはどちらの説が正しく、他方が間違っているというということはここでは論じません。仮に轢死少女説でも、だからけしからんと言いたいわけではありません。作成の当初の意味がそういうものであっても構いませんし、意味を改変したいのならはっきりそう言ってやれば良いと考えます。ただ、それでも支持されるでしょうか。どうなんでしょう?

 

今あの国では、この像は初めから日本の官憲に強制連行された朝鮮人慰安婦を象徴するものとして作成されたものだとされているようです。それならそれでも別に構いません。どちらでもいいです。

 

いずれにしても朝鮮人女性の強制連行ー慰安婦強制はなかったということです。まして「性奴隷」などはなかったということです。そこが一番のポイントです。

 

「平和の少女像」を日本とはまったく切り離して、特にかつての戦地慰安婦とは切り離して、ごく抽象的な意味のものとして扱うのなら私たちは何も言いたいことはありません。しかし、展示者はそういうものとしてなら展示の情熱を失うのではありますまいか。訊いてみたいところです。