ボランティアの証言その4

【Dさん】

【私がリコール活動を始めたきっかけ】

2019年愛知トリエンナーレで展示物の中にとても「芸術」と呼ぶことのできないものが展示された。

歴代天皇陛下の中で特別な思いをされた「昭和天皇の御真影をバナーで焼き土足で踏みにじる」ものや

「英霊を侮辱する作品」が展示されしかも、公費で行われ「大村知事が再開」させた。

『日本人として許されない行為である!』と憤っていた処、リコール活動が始まった。

 このような「政治活動」をしたことが一度も無いため、参加するべきものかどうか

迷っていたが、8月のお盆休みに名駅前で「リコール告知の街頭活動」が行われることを

ツイッターで知り、「何かに背中に押される様」に参加した。

 

【主な活動内容】

当初は主体的に活動をしてみえる方々から「受任者募集ハガキ」とボランティアお手製の

「チラシ」の供給を受けポスティングを人生で初めて実施。

 非常に暑い夏、早朝6時から住宅街を歩き1軒1軒のポストに投函し「小便が赤ワイン」

のような血尿になるまで約7,000軒にポスティングした。(しかし私以上に実施されている

方々が何名もみえるのをツイッターで知っていたため、昭和天皇と英霊に大変申し訳ない

気持ちになりました。)

 そして、地元での街頭署名活動に参加した。「政治的に関心の薄い土地柄」ではあったが

毎回「100筆」の署名を頂き活動の正当性を実感した。

 その経験を元に後の市の作戦立案に参画させて頂いた。

 

【活動中の苦労】

事務局側からの情報が一切出てこず、動いていいのか分からいままの活動で有った。

また街頭署名に立っても「受任者に申し込んだけど、一向に署名用紙が来ない。」との

苦情に直面し対応に迷い苦慮した。

 

【活動中の事務局への思い】

 私には署名用紙が順当に届いたことから、当初は不信感は無くいた。最初の事件と

言える「盗聴器事件(後にフェイクニュースと知る)」も本当にスパイが入っていると

思い込んでいた。署名簿の「印鑑違い」を発見した時も「完全にスパイにやられた!」と

思っていた。(これを事務所に指摘に行った時、渡邊美千代氏が対応し「修正して選管に

提出するからそのまま使って。」と言う言葉を信じてしまい署名を集めた。しかし印鑑は

修正されないまま提出された私の署名はすべて「紙屑」と化してしまった。)

 不審に思ったのは、確か「印鑑違い」の翌週だったか…名古屋市の生涯学習センターで

一斉に会場署名が行われた時。「ここでもスパイは何か仕掛けてくるかもしれない。」と

思い当初はどこかの生涯学習センターに入ろうと思ったが

「キーとなる事務所で何か仕掛けをされては行けない・」と思いその当日朝に

古出来の事務所に行くと、10か所近くある会場の備品準備を一人で行っており

前に準備されて「何故こんな大事な事が事いない?

何故こんな大事な日に人がいない?」と疑問を抱えて「不信感」を抱くようになってきました。

 

そして、運命の11月7日。高須克弥氏が「停戦指示」を出した夜。

翌日から活動を始める予定でいた豊橋の決起集会に参加しているとき、地区の請求代表者の方が

どうにも「停戦指示」に納得がいかず、まずは「川村市長」に確認の電話し「活動の中止」を

告げられた。しかしそれでも納得のいかない請求代表者は「田中事務局長」に電話をした。

その電話を途中で変わっていただき「あの大量の同一筆跡の証明はなんだ!組織的に行わないと

あんな量は紛れ込ませれないぞ!事務局が知らんとは言わせないぞ!」と私が田中事務局長に

迫ったところ、田中事務局長は「あれはいろいろ有ってしかたなかったんだ・・・」と

あっさりと不正署名を提出したことを認め、私の不信感は頂点に達しました。