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英霊の遺書(16)

(*)編集者注
   遺書の最後の所に、
現時敵機爆撃の為大都市等にて家は焼かれ、父母を失ひし少年少女数限りなし。之を思へば父は心痛極りなし。」とある。我々はなぜ特攻隊員たちは死地に臨んで行ったかと問うことがある。その答えがここにあるのではないか。アメリカは日本の都市という都市を無差別爆撃していった。家は焼かれ、建物は破壊され、おびただしい老若男女・赤子にいたるまで焼き殺されていった。昭和20年3月10日は一夜にして10万人が東京で焼き殺されていった。これを見て立たない大和男子はいなかった。わが身を顧みる大和男子はいなかった。我が一死をもって報いんとせざる大和男子はいなかった。大和男子は決して怯むことはなかった。彼らには同胞に対する深甚なる愛があった。勇気があった。覚悟があった。後に続く者たちに未来を託した。

 

 

 

 

 出撃に際して倫子、生まれる愛子へ

            陸軍少佐 渋谷健一命

            特別攻撃隊振武隊隊長

            昭和二十年六月十一日 沖縄方面海域にて戦死

            山形県松峯町字片町出身 享年三十一歳



 父は選ばれて攻撃隊長となり、隊員十一名、年齢

桜と共に決戦の先駆となる。死せずとも戦に勝つ術あらんと考ふるは常人

の浅はかなる思慮にして、必ず死すと定まりて、それにて全軍敵に総体当

りを行ひ、尚且つ、現戦局の勝敗は神のみぞ知り給ふ。真に国難といふべ

きなり。父は死にても死するにあらず、悠久の大義に生るなり。

一、寂しがり屋の子に成るべからず母あるにあらずや、父も又幼少にして

父母を病に亡したれど決して明るさを失はずに成長したり。まして戦に

出て壮烈に死すと聞かば日の本の子は喜ぶべきものなり。父恋しと思は

ば、空を視よ、大空に浮ぶ白雲にのりて父は常に微笑で迎ふ。

二、素直に育て、戦勝つても国難は去るにあらず、世界に平和がおとずれ

て万人太平の幸をうけるまで懸命の勉強をすることが大切なり。二人仲

良く母と共に父の祖先を祭りて明るく暮らすは父に対して最大の孝養な

り。

父は飛行将校として栄の任務を心から喜び、神明に真の春を招来する神

風たらんとす。皇恩の有難さを常に感謝し世は変るとも忠孝の心は片時

も忘るべからず。

三、御身等の母はまことに良き母、父在世中は飛行将校の妻は数多くあれ

ども、母程日本婦人としての覚悟ある者少し。父は常に感謝しあり

り。

戦時多忙の身にして真に母を幸福にあらしめる機会少く、父の心残りの

一つなり。御身等成長せし時には父の分まで母に孝養つくさるべし。之

父の頼みなり現時敵機爆撃の為大都市等にて家は焼かれ、父母を失ひし

少年少女数限りなし。之を思へば父は心痛極りなし。御身等は母、祖父

母に抱かれて真に幸福に育ちたるを忘るべからず。

書置く事は多けれど、大きくなつたる時に良く母に聞き母の苦労を知り

決して我儘せぬやう望む。